創業への想い

たまたまリクルートブックで見かけた整備の学校が、出来たばかりのホンダの学校。
本田宗一郎という人も知らずそこに飛び込んだ。
ところが在学中は他メーカーのバイクに乗って先生に叱られ、ただただバイクを触り乗り回す日々を過ごす。
校長の本田宗一郎氏がカーチス再生クラブを作って、生徒を募集。
始めたころは多くの生徒がいたが、最後に残ったのは6人。
荒川の土手で再生したカーチスに乗ったのは心に残る思い出だ。
1979年HITS(ホンダ・インターナショナル・テクニカル・スクール)を卒業。

在学中、バイクで一人前になろうと思うようになり、音を聞くだけでどこが悪いのかわかる、という整備士に憧れて、福岡の二輪代理店、西京ホンダを訪ねた。
いきなり就職希望の学生の訪問に驚く社長。
想いが叶って就職が決まった。

HITS時代に本田宗一郎氏と出会い、僕たちは宗ちゃんと呼んでいた。
西京ホンダに就職した一か月後、本田宗一郎氏が全国の代理店を回り、福岡の西京ホンダを訪問。
ずらっと居並ぶ社長、販売店さん、スタッフの最後に並んだ僕。
宗一郎氏は、見た瞬間、「こいつは見たことがある、こいつは俺の弟子だ!」と言われ、当時働いていた西京ホンダの販売店さんの間で有名人になってしまった。
宗ちゃんとの関係が僕にとって業界のいろんなことで優遇されるラッキーな結果となった。

3年間、西京ホンダでオートバイの整備と営業を覚え、1982年ホンダショップライフを創業。
開業と同時に西京ホンダ時代にいたお客さんや友人とオートバイのレーシングチームを結成。
チームは、ロードレース、モトクロス、トライアル、ジムカーナと多岐に渡った。
どの種目も好成績を収め1987年にはHRCのサービスショップに選抜される。
当時のレース活動が評価されたのか、全国に20社しか選ばれないHRCサービスショップに!
1988年1989年には世界グランプリロードレースで日本代表に選抜され、九州のチームでは初めてのことで一躍有名になった。

1992年には念願の鈴鹿8時間耐久ロードレースに参加して、どんどん有名なチームになっていった。
モトクロスではチーム員6人がみんな国際B級に昇格
トライアルもみんな頑張った、ジムカーナーも好成績を収めた
そして2004年これ以上のレースに挑むにはホンダドリーム店をオープンしなさい、とホンダから言われ数億の借金をしてホンダドリーム店をオープン。
レースバカな私がレースを継続するために頑張り続けた、そんな42年間だったようにも思えます。
私は、ホンダショップライフグループとしてこれからも本田宗一郎氏の想いを引継ぎ、ホンダ二輪車専門のホンダドリーム店として挑戦を続けます。

加藤 稔